備中手延べそうめんの歴史

備中手延べそうめんの歴史について

備中における麺の歴史は大変古く、吉備の国では9世紀ごろに「麦切」という麺の一種が作られ、朝廷に献上されていたという記述が残っています。

しかし、備中で小麦がうどんやそうめんの原型のようなものから、そうめんの形に洗練されていくのは江戸時代後期になってからのことです。

文政年間、浅口郡口林村の原田敬助という人が伊勢参詣の折に播州でそうめんを食べたことがきっかけとなり、播州からそうめん職人を村に呼び寄せて製麺の技術を学びました。

これが備中そうめんの始まりであると伝えられています。

その際、水車を建設して製粉から製麺まで一体化したそうめん作りを行なったことが、後の備中そうめんの発展に繋がったと言えるのではないでしょうか。

昭和初期に水車製粉が電気普及によって衰退した後も、備中そうめん組合がいち早く工業化に着手します。

小坂東の鈴木弥一氏が先駆者となって、手延べ用のこね機やイタギ機を開発し、手延べ作業の効率を上げて、大量生産と品質の安定化に成功しました。

手延べそうめんというと、家内制手工業が中心の地域も多いのですが、備中そうめんは手延べの伝統と近代工業化を両立して生産数を上げ、今日も全国的に知られるブランドに成長したのです。


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