大門素麺(おおかどそうめん)の歴史について
大門そうめんの歴史は、江戸時代後期、嘉永年間(1848~54)ごろに遡ります。
富山から全国に向けて薬を売り歩く「富山の薬売り」は、富山の売薬行商として知られていますね。
もちろん大門にも売薬人が居ました。
大門そうめんは、この売薬人を通じて入ってきたとされています。
嘉永年間、大門の売薬人・田守三右衛門らが、売薬の取引先の高松(今の石川県かほく市)でそうめんの製法を学び習得しました。
当時の高松は能登半島の輪島(輪島市)や蛸島(珠洲市蛸島町)からそうめんの技術を学んでいました。
蛸島のある加賀前田藩が御用素麺を製造していることを知った田守たちは、さらに本格的なそうめん作りの技術を習得すべく、蛸島でそうめん修業を積み、蛸島そうめんの商標でそうめんを売り出すことになります。
そして、大門での蛸島そうめんの生産が盛んになった結果、生産数そのものが大門へと移行してていき、昭和10年代には蛸島のそうめん作りは途絶えてしまいました。
蛸島そうめんの名は消えてしまいましたが、その伝統が大門そうめんの中に継承されていったことは間違いありません。
このような生産地の統廃合が少なからず行なわれていたことは、そうめんの歴史においては珍しいことでは無いのかもしれませんね。
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